パワースポット山岳信仰霊場黒瀧山不動寺
上州下仁田町に地質の好きな人は一度は訪れるという根なし山『クリッペ』という山体がある。一般的に地層は古い順に畳を重ねたように山体が形成されるものであるが、この根なし山『クリッペ』は下の古い地層が新しい地層の上に被さっている。この地層は北東から南西方向に流れ盤となっている。地質学では極めて奇異の現象として知られ、多くの学説が発表されてきた。
しかし、確たる定説はいまだない。クリッペの北東の先にこれ又有名な本宿カルデラと言われる火口の大陥没の跡が高重力地域として学術的に知られている。この2つの現象を重ねると、仮設であるが、『950万年前、イン石の落下により、その衝撃波は周囲の古い地層を削り取り、山津波となって、大規模に下流側に押し流し、新しい地層に一気に積み上げたものと推測されます。』この事実確認を様々な角度から推測してみました。なお、一番下に載せた「ドイツの隕石衝突クレーター、ネルトリンガー・リースの隕石衝突説」が本宿カルデラと良く似ていることに驚いています。まあ、読者の皆様方には隠居独楽者のつぶやきと大目に見てやって下さい。
●放射線とペスト
ロマンチック街道を南下すると、丘の上にヴァラーシュタイン城がそびえる町があり、付近一帯は1500万年前に隕石の衝突によって形成されたと言われるリース盆地がある。中世に猛威を襲ったペストで200万人が死亡の石碑、なぜかヴァラーシュタインに隕石(強放射線を帯磁)落下の記念碑あり、ペストがここから北上しなかったという『ペスト柱』のモニューメントが有名。地元ガイドの説明による。それ以降、ウィリス感染防止のため市街地の敷石には放射線岩石を使用されたことも考えられる。※バス車内で放射線測定結果0.18μS/hrでした。全域が石灰岩0.01μS/hr地帯としては高数値でした。
・リンク欧州の放射線岩石活用事例
空中磁気異常図 高重力地点に黒瀧山不動寺が建立されています。
更に中央構造線の真上に黒瀧山不動寺が建立されています。
この山奥になぜ寺が建立されたのか、隕石落下説から解明しています。
とにかく凄い大地バワーが秘められています。
黒瀧山不動寺は大地からのバワ―を活用した加持祈祷の修験道場ではなかったのか?
異常高重力の真上に鎮座する黒瀧山不動寺について
標高870mの黒滝山に建つ山岳信仰の霊場。行基作とつた伝えられる不動明王像を安置して建てられた山岳仏教信仰の霊場。江戸時代(延宝3年)徳川五代綱吉公が帰依した潮音禅師が黄檗宗(おおばくしゅう)黒瀧派の中心道場として再興した。県指定天然記念物の大杉がある。
隕石衝突による硬いガラスから証明
テクタイト
隕石の衝突の衝撃で蒸発・気化した大量の地表の岩石が空気中に放出され、それが急冷することでできたと考えられる天然のガラス、世界の特定地域のみで発見され、形は球、円盤なとさまざま
高温・高圧で密度が高く、ダイヤモンドのように硬い。エジプトのツタンカーメンの宝石が有名
南牧村にある砥石の産地。
16世紀から採掘が始まり、江戸時代には幕府指定の御用砥の産地として発展した。合成砥石が普及する16世紀半ばまで採掘が続けられた。
砥沢の石って、どんな石?白い石だけれど・・・ ネット引用
流紋岩です。地下のマグマが地表浅いところで冷え固まったもの。ただし、この場所の流紋岩は地表に流れたのではなくて、900万~800万年前、地層に入り込んだ(貫入した)ものです。
さらに後から熱の作用を受けて少し変化していて、細かい結晶で加工しやすいものになっています。小さな粒のザクロ石(ガーネット)が入っていて、これが砥石の性能を高めているそうです。宝石になるような粒のガーネットではないのですが、ここでは、粒の小ささが砥石の価値をたかめています。粒が大きかったら砥石になれなかった・・価値がなくなった・・
つぶやき
流紋岩の砥石は極めて珍しい。大半は粘板岩です。またガラスはテクタイトではないだろうか?隕石の落下衝撃で空中に舞い上がった石英は高温・高圧で一瞬に細かいテクタイトが形成され、泥沼に降り注ぎ堆積された粘板岩ではないだろうか? それと砥石形成年代と本宿カルデラ形成年代は一致しています。
写真の左は5千円、右の最高品は8万円、研磨材のガラスの含有量によるものらしい。流紋岩なら石英は均一の成分が常識ですが、岩石層でガラス含有量に差があるようです。特に右側のガラス成分の多い高級品砥石ははっきりと堆積層状が確認され粘板岩です。
ナゾに包まれた宮室の逆転層
地層が逆転し、上下さまになっている様子
黒瀧山の山体崩壊き砲弾的中の形状です、これは隕石落下による特有な現象です。隕石落下の衝撃で本宿層の泥岩が崩壊、流れ盤となって下流域に覆い被った、これが宮室の逆転層ではないでしょうか?
なお南牧村砥沢、南牧川の白亜紀の黒泥岩と本宿層の泥岩は同一岩質です。
四ツ又山の地質を調査中
黒瀧山不動寺 (群馬県南牧村) - YouTube
大きな白いチャートの岩は、 洪水のときに南牧川の上流から流されてきたもの |
仮説ですが・・
隕石落下した本宿カルデラは荒船山体崩壊を起こし山津波となって下流部に転石を蓄積しました?
写真は下仁田ジオパークより引用しました
下仁田町青岩公園から上流、南牧村砥沢にはチャートの転石がゴロゴロしています。おそらく、荒船山の山体崩壊で流れ盤となって下流に押し出されたと推測されます。
テクタイトは隕石の衝突によって砕け散った地表の物質がも
の凄い速度で飛散している間に形成されます。飛散している
間に空気との間に摩擦が生じます。その摩擦によって円盤状、 球状など様々な形になります。
空気との摩擦によって表面上に溶解の「窪み(ディンプル)」が できます。隕石が衝突した時に発生した熱が、飛散している際に空気中で急激に冷えることで内部に「気泡」もできます。また、飛散している際に空気との摩擦によって生じる「飛翔痕(ひしょう こん)」もできます。これら3つがテクタイトの最大の特徴です。
重力図からの隕石衝突の証明
米ソ冷戦時代、月面クレーターの成因説は米国、日本の火口カルデラ説と旧ソ連のイン石説が対立していたが、軍配はイン石が正当化された。それによって重力図の高重力域Area of higher gravityであれば隕石孔によるものもあると推測されています。いわゆる地下深部に重い隕石が埋没している可能性が大である。
左図のような
重力図にH記号、高重力域であれば、地下に隕石物の可能性が考えられる。なおH記号の場所はトン当り60gの天沼金鉱山です。
天沼鉱山の自然金 ※高濃度の金鉱脈は釈迦の霊泉の真下にあり、教祖によると採掘された金鉱山は「金含む隕石落下」り一部だそうです。
Lの底重力域であれば、谷川岳のように、火口によるカルデラの痕跡が証明され、地質概要の通りです。
隕石落下の衝撃で大規模な地すべりから証明
900万年の浅い海底に隕石落下、大規模な地すべりが低部に向って流れ盤となって覆い被さったと推測されます。下流域の下仁田付近はとても地質が複雑で、さまざまな地層・岩石が分布している。
本宿カルデラ周辺の岩質と根なし山『クリッペ』と同一と推測され、クリッペの堆積物は地すべり特有の地質が入れ混じれた地質構造です。また本宿カルデラ周辺の標高と根なし山の標高でちょうど流れ盤の高低差が見られる。
現在の地すべり現象から当時の状況を推測してみよう。
目下、黒瀧山眺望から東側の稲含山方面の地層形成を確認中です。
また火山であれば遺物である、本宿カルデラからの膨大な噴火物、例として浅間山ー浅間砂、赤城山ー鹿沼土、妙義山ーベントナイト泥岩等、そのような堆積物は存在しない。魔か不思議です。本宿カルデラを火口跡とする定説に疑問点が多く見らます。
阿蘇カルデラは空洞を示すL重力異常です ※現在から過去を知る
隕石落下の衝撃で中小坂磁鉄鉱石は形成された?
磁鉄鉱は鉄鉱床に激しい衝撃から形成されます。鉄の無秩序の配列方向から、均一方向となり磁場が形成されます。中小坂磁鉄鉱は本宿に落下した隕石の衝撃波によるものと推測されます。
なお、同時に平滑花崗岩の主要成分石英SiO2はガラス無配列構造から水晶のように均質構造となり、その湧水は驚異的な電子を発している推測されます。
中小坂鉄山は、上信電鉄下仁田駅周辺の下仁田町中心部から西方へ流れる森沢川流域から、東側は南蛇井駅周辺まで広がる南蛇井層と呼ばれる地層と、南蛇井層の北部に貫入した平滑花崗岩とが接する付近にある。南蛇井層と平滑花崗岩は領家帯に属しており、南蛇井層は検出された放散虫からジュラ紀後期の海生層由来で、日本列島に付加した付加体であり、平滑花崗岩は約6400万年前に南蛇井層に貫入したマグマが固まったものと考えられている[4]。
南蛇井層は泥岩と砂岩が交互に堆積した形態を基本とし、砂岩がレンズ状に堆積した箇所も多く、またチャートや石灰岩がレンズ状に分布した部分も見られ、一部はメランジュ状になっている。その南蛇井層に平滑花崗岩となるマグマが貫入したことが引き金となって、磁鉄鉱が主体である中小坂鉄山の鉱床が形成されたと考えられているが、鉱床形成のメカニズムは現在のところはっきりとしていない。
仮説です
磁鉄鉱は外部からの衝撃、カミナリの落下等で鉄鉱石のバラバラ方位の磁石が全て均一方向に規則正しく並んだ状態です。小坂磁鉄鉱は隕石落下の衝撃波で鉄から磁鉄に固定されたと推測しています。
また平滑花崗岩付帯するチャートや石灰岩は上流部の青倉石灰岩からの流れ盤と推測されます。
写真と下記の解説文は下仁田ジオパークより引用しました。
A | ||
道端で見つけた平滑花崗岩 | 磁鉄鉱を含むと思われる重い岩石 |
ここは、南蛇井層と呼ばれる地層と、南蛇井層の北部に貫入した平滑花崗岩とが接する付近である。南蛇井層と平滑花崗岩は領家帯に属しており、南蛇井層は検出された放散虫からジュラ紀後期の海成層由来で、日本列島に付加した付加体であり、平滑花崗岩は約6400万年前に南蛇井層に貫入したマグマが固まったものと考えられている。南蛇井層に平滑花崗岩となるマグマが貫入したことが引き金となって、磁鉄鉱が主体である中小坂鉄山の鉱床が形成されたと考えられているが、鉱床形成のメカニズムは現在のところはっきりとしていないという。磁鉄鉱の化学式はFe3O4であるから、純粋な磁鉄鉱の鉄含有率は72.4%となる。 |
つぶやき
私は重力図からの隕石衝突の証明を求め探索していた。ある時・・・
H28.5に新聞広告に国の経済センサス-活動調査で下仁田町の募集があり、応募した。町から快い返事と知事から委嘱状が送付された。私の目的は①中小企業ミラサポ専門家として、中小企業の経営状況を知りたかった。②下仁田町の地質に興味があり、眠っている資源がある、これを掘り起こしてみたい。
ここで発見した事、①から懸案事項の発見については、現在政府のモニターとして提言する予定なので省きます。②について、偶然に調査区の西野牧で上信道高速道路の八風トンネル工事に従事した人と話す機会があった、Q諏訪からの中央構造線がトンネルを横断しているのですが?Aいやトンネル工事ででっけい大規模な破砕帯、断層を見た時、びっくりした。おらーもう、これを見た時から、完成した道路も怖くて通らねー。この地質図、現場写真集は工事中であれば建設事務所に保管してあったはずです。ジオパークで取得しておけばお宝となったでしょう。更に工事残土を調査していたら、グリーンタフ(緑色凝灰岩)でキラキラと輝く鉄鉱石だったのを覚えています。この鉱石に金鉱石も混ざっている場合は想定されます。参考として、安中の東邦亜鉛工場では副産物の金が相当取れます。
黒鉱ベルトとは東日本の金銀銅鉄鉱脈地帯を指す。
グリーンタフ(緑色凝灰岩) | |
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— 堆積岩 — | |
日本列島での分布
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H28.6 自然史ボラに参加、控え室にジオパークの現地見学会のチラシがあった。18日に参加した。ここでの発見は白亜紀の泥岩が放射線0.25マイクロシーベルトあり、欧州の都市石畳0.4マイクロシーベルト、秩父で発見したブラックシリカ0.3マイクロシーベルト
同一年代である事。この時、恐竜の絶滅と放射線との因果関係がありそうです。
その後、中小坂鉱山で磁場と放射線測定をしたが、期待する値は無かった。改めて、八幡神社から南の川を越えた林道沿った沢で散乱する花崗岩0.5マイクロシーベルトで市場性が極めて高い。沢が崩壊しているので、水路工事の場合、残土はすぺて町の指定場所に保管する事が望ましい。必ず世に出ます。また市場性について説明したいと思っています。
さて、これを機会にもう一度、ネットで重力図を調査していたら、何と自然史博物館の委託業務で見事な重力図調査がありました。以前、水上町の釈迦の霊泉の地底を調査中、博物館所蔵で天沼金鉱山トン当り60gだった。なお本文を書く前の記事です。眠っている資源を早く掘り起こして世に出してくれ、と地底からの誘いが感じられます。
重力異常図 H:重い物質、L:軽い物質で構成
なお左下の大深山の本宿層と比較して小規模なH地点で、国はボーリング試掘800mで有望な鉱脈を発見されています。図4bの解説からは、本宿層カルデラの高重力は、これまでの重力図の解析からは説明できないナゾ。と報告されています。
本宿層は火山噴出物が埋設したカルデラなら一般的に50nT以下が普通、凝灰角礫岩で比重1.6、その20倍、1000nTの岩体が測定されている。比重では金の比重19.7以上です。
埋設物質は比較的、浅部にありそうです。
-重力図から分かる事-
・本宿カルデラは隕石落下特有のコンターが密、すなわち大地に砲弾が撃ち込まれた形状です。
・妙義山は裏側にL、火口カルデラ
・秩父鉱山のLは両神山の火口、Hは秩父鉱山、右の密Hは金鉱山
・大桁山のHは中小坂鉄鉱山、鉱脈が大桁山に向っています。
・隕石衝撃で鉄が磁石に形成された中小坂磁鉄鉱床
・隕石衝撃で形成された稲含山に密度の高い未開発鉱脈、蛇紋岩からヒスイが期待できます。
・本宿カルデラの大規模な密コンターの中心地は山岳信仰霊場と千年余年の歴史を誇る「黒瀧山不動寺」トレッキングマップ PDF(834KB)。天然水は癌特効イリジウムイオン水が期待できます。また埋没物質は金比重 19.32、イリジウム比重22.42、それともダイヤ? ※辺境の地でお宝発見、国家財政を救う?と発表されるでしょうか
砥沢の金鉱山跡 黒瀧金鉱脈は不動寺地表下500mに埋蔵か?
・黒瀧山不動寺は・特異磁場を背景に、加持祈祷医院の全盛期を極め、気功術による祈祷師が世に輩出した?
本宿カルデラからの流れ盤が稲含山に向っています。地山に覆い被った可能性が想定されます。
左下の砥沢はおそらく沼地だっただろう、硬質ガラスの砥石は隕石の落下衝撃で空中に舞い上がった石英が高温・高圧で一瞬に細かいテクタイトが形成され、泥沼に雨のように降り注ぎ堆積された粘板岩と推測されます。
H28,7.18 テクタイト探索日記 第1回失敗
砥沢の山中を彷徨い、岩盤岩場泥の中から真っ黒の円形ガラス塊を発見した。泥だらけで格闘、岩石ハンマーで強打するが火花だけが散る。飛び散ったガラスで指から鮮血、世に出してほしくないと抵抗され、むなしく下山。
次に向った、黒瀧山は間違いなく荒船山系の火成岩でした。しかし下部の地質構造は中古生代の泥岩、チャートが散見された。周辺渓流を探索したがテクタイトはまったく期待できなかった。露頭には散乱する岩片、私と同じ考えを持つ人が岩と格闘する姿を思いを描き、なぜかニッコリ・・・。でも地下深部に眠る幻の黄金探しで、身元不明の死体発見が人生の終結じゃ嫌ですね・・・
不思議なこと、泥だらけで疲れ、もう絶対に行くもんかと思い帰宅したら、南牧村から相続の仕事依頼ありました。これも縁と思い、南牧村役場に出張時に再度入山の予定です。なお、偶然に知った、武田信玄の砥沢金鉱山跡は黒瀧大金鉱脈の末端小鉱脈を採掘したものと想定されます。それと老愛犬16才が南牧川の某場所から、一向に離れないのです。ようやく抱きかかえ連れ戻したが・・・、常日頃からご主人様にたった一回で良いからご奉仕してね、喜ばしてねと言い聞かせていますが、どうやら砂金を見つけたようです。
H28,8.3 テクタイト探索日記 第2回
南牧村役場に依頼を受けた相続に関する戸籍簿等の取得のため出張した。業務終了後、昨夜ここに行けと告げられた民族資料館二階の岩石、鉱石展示を拝観した。係員にガラス質岩石を探している事を話したところ、奥から村人が沢で拾ったというテクタイトらしき重く表面が黒く焼爛れた鉱石を見せてくれた。そして不思議そうに先日も、埼玉県から女性の地質研究者が来館し、何でも、何処かの展示でガラス塊を見て、南牧村産出とあったので、探し回っていたという。そして、貴方と同じように、どこで採取したか等、ひつこく、聴き取り調査をしていたそうです。
さて、本日予定していた渓流で採集予定は急きょ中止した。さあ次の作業はどうする・・・・当面はこれまでの成果を発表します。興味のある方は参加して下さい。
次に無造作に置いてあった金鉱石の展示を拝見、大半が黄銅鉱でしたが、山梨県の金山博物館の金鉱石より濃厚な見事な金鉱石が含まれていた。
なお、県庁勤務の時、農政局の資源課の調査で地質官と金沢大学の河野博士共に重力調査に参加したことがある。河野博士は現在、異常重力から隕石発掘の研究者です。南牧村の了解を得られば打診し現地案内してみたい。残念、H28河野博士は故人でした。
隕石によるテクタイトは、ガラス塊の表面に付着しているイリジウム成分の存在で決着できます。
しかし、関与すれば、定説を覆す軋轢とストレスが予想され、これ以上深入りはしたくないという心境も交錯しています。
それに役場職員にとっても、余分な仕事だ、ありがた迷惑だ、おせっかいは硬くお断りが普通だ。
H28,8.16 テクタイト探索日記 第3回
ガラス塊の表面に付着しているイリジウム成分の放射線、磁場そして特殊なルーペで金粒子を確認したく、測定機器を下げて資料館に行ったが休館日だった。ちょうど埼玉ナンバーの乗用車が入口で立ち止まっていた。帰路、ふっと思った、埼玉県のガラス塊を研究者だったのでは・・・意見交換してみたかった残念。そして下仁田自然史館で念入りで資料を調査する。S35新聞記事から本宿カルデラそしてクリっぺは地質の大御所の藤本博士の発表によるものだった。この学説は地学の教科書ではプレート論以前の考え方、学会から消失している地向斜造山理論です。
H28,8.21 隕石探索日記 第4回
自然史博物館の解説ボラティア定例会で、何気なく寄った図書室で地学学芸員に出会った。隕石説の意見は①テクタイトの証明はガラス破片を鉱物顕微鏡で高熱作用の形状は確認できるが。②現地で黒い異質のイリジウム層の発見が最も信頼性を得られる。これを機会に解明支援に協力したい。
H28,9.7 隕石探索日記
夜中に・・・と告げられた。エーと一晩中思い巡らした結果、その意図が分かった。国益に係ることなので、あと2回同じことを告げられたら、本格的に調査を開始したい。本音はもう離脱したい。それでも文献調査を精査。やはり何か重い物が埋まっていることを確信する。
H28,9.24 隕石探索日記
具体的な正夢を見た?地元住民の金発掘の願望理由が分かった。
H28,10.3 隕石探索日記
夜中により詳しい教示を受けた。日々が平凡に生きたい。めんどうくさいから、何もしない事にする。いわゆる撤退したい。
それでも、下仁田町商工会で調査報告会を行う予定で、バワ―ポイントで準備はできている。連絡なしだ残念
現在、委嘱されている内閣府国政モニターで3月分に提案し国策で調査依頼する予定です。
・地方創成は地域のお宝発見です H29.3.3採用
1922年、ツタンカーメン王の墓が暴かれた時、発見された財宝のひとつの黄緑色の宝石が研究者達の頭を長年悩ませてきたのです。というのは、この宝石は、宝石では無くてガラスであることが判ったからである。ところが、人類がガラスを作り出せるようになったのは、紀元前5世紀位だったとされているのです。よって、ツタンカーメン(BC1300年頃)の時代には、ガラスを製造する技術が存在していなかったと思われる訳です。
そこで、このガラスは人工のガラスではなくて、天然のガラスであろうと推測されたのです。天然のガラスという物質は、ほとんど地球上には存在していないのです。天然ガラスというのは、火山の熱で生成される「黒曜石」と隕石が高熱で溶けて出来る「ネクタイト」の二種類しかないそうである。ツタンカーメンのガラスと同じようなガラスが、サハラ砂漠で発見されたのです。ネット引用
ツタンカーメンの話:王の宝石と隕石の関係
自然ガラスは黒曜石以外は存在しない。定説では隕石落下による高温、高圧衝撃による硬質ガラスだけである。
隕石の場合、国際標準価格がある程度、定まっている
価格の比較も容易なので、販売価格の適性度の判断が簡単らしいです。
ネットで売られているものもありますが、本物かどうかは・・・
種類にもよるらしいが1g 1000円~60万するらしい。月の石は1g60万円クラス。
値段は大きさ、希少性、断面図の美しさで決まる。
金(ゴールド)が1グラムあたり2008年時点では3000円程度に高騰中なので、隕石は価値が高いと言える。
隕石は、学術的な価値よりも、宝飾品としての価値が高い
隕石の地底は未知なる資源が埋蔵されている
跡地に3000年分のダイヤモンドが眠っていることが発表される
ロシア、シベリア地帯の、3500万年前に小惑星の隕石したクレーター部分(インパクトゾーン)に、現在の世界供給量の3000年分にあたるダイヤモンドがあることが判明。総カラット数は1兆カラット以上。とてつもない量だ。
・月のクレーターから知ること
月面の数多く見られるクレーターは、いん石の衝突により作られました。
同様に地球史でも膨大な大小のいん石の衝突があり、地下深部にその痕跡が残されています。その隕石落下地点は重力異常が見られ、現在パワースポットとしても注目されています。
米ソ冷戦時代、月面クレーターの成因説は米国、日本の火口カルデラ説と旧ソ連のイン石説が対立していたが、軍配はイン石が正当化された。それによって重力図の高重力域Area of higher gravityは隕石孔によるものもあると推測されています。いわゆる地下深部に重い隕石が埋没している可能性が大である。
イン石落下による流れ盤の想定図 ※隠居者のつぶやきです。
現状の大規模地すべり現象を知って、過去を検証しよう
地すべりから分かること、すべり面が急峻地形となります。これが直壁の荒船山です。荒船山が隕石の衝撃で北面の基盤地層を削り取り下流部に一気に流れ盤となって押し流した。硬いマグマ脈だけを残した。これが現存する荒船山形成と推測されます。
跡倉クリッペの学術理論
跡倉クリッペは青岩と呼ばれる緑色の岩の上に、よそで形成した地層が残っています。これは、クリッペを構成する地層は、よその場所で形成し、その後地殻変動で移動してきて、浸食されて山の上に部分的に孤立して残っているのです。
クリッペ(Klippe、ドイツ語、根なし山ともいわれる) 地質学上の用語。水平に近い低角度の衝上断層によって移動してきた岩体(ナップ)が、侵食作用によって本体から切り離されて孤立した地塊。したがって、新しい岩石からなる山体の上に山頂部にだけ古い岩体が乗ることになる。
地質学会の定説
本宿陥没
周辺には険しい山々があり、その中に山頂が平らな山「荒船山」が浮き出ており、それがまるで荒れた海に浮かぶ船のように見えることからこの名前がつきました。
この辺りはおよそ、950万年前大地が大陥没を起こし、直径10キロ深さ数100メートルものカルデラを形成しました。陥没した大地の割れ目からマグマが上昇してきて、カルデラ内で激しい火山活動が起きました。荒船山もそのときの火山活動でできた山です。
この山の山頂が平坦なのは、地面に平らに流れた「荒船溶岩」が残ったものだと考えられています。
本宿コールドロン 荒船山周辺は本宿火山性陥没地とよばれており、第三紀後期中新世の一種のカルデラ火山の跡です。荒船山を東山麓の群馬県下仁田町相沢付近から登ると、下から順にデイサイト貫入岩体→安山岩溶岩→安山岩質凝灰角れき岩→湖成層(砂岩・泥岩・凝灰岩)→安山岩質凝灰角れき岩→安山岩溶岩→安山岩質凝灰角れき岩→湖成層が(貫入岩を除いて)ほぼ水平に重なっています。最上位の平坦な尾根は安山岩溶岩からなっており、三角点のある山頂は、デイサイト質溶結凝灰岩から構成されています。荒船山が航空母艦のように山頂が平坦なのは、安山岩溶岩が侵食に強かったためです。こうした地形のことをメサといいます。 本宿コールドロンの大きさは直径が約10km強あり、多角形型の輪郭をしています。ちなみに、カルデラとは火山性の凹地形ですが、かつて陥没したカルデラの中味が隆起して現在は山になっているような場合、凹地形ではないのでカルデラとはよばずコールドロンと称することが一般的です。本宿コールドロンでは、最初にマグマ溜りの突き上げによって地表が隆起し、その結果張力が働いて陥没が生じ、その後に陥没地内にマグマが噴出して各種の火山岩類が形成されたと考えられています。こうしたタイプのカルデラのことを本宿型カルデラとよびます。この地域は本宿型カルデラの模式地なのです。最初にできた陥没地の周囲の崖の下には一種の崖錘れきが溜まりましたが、この崖こそが『陥没の壁』に他なりません。長野県側から荒船山に登る場合は、まずこの『陥没の壁』を越えてかつてのカルデラの中へ入って行くというわけです。 高橋正樹教授(日本大学・地球科学科) 日本地質学会第123年学術大会
下仁田町を縦断する中央構造線の特質 ※ネット引用です
下仁田町を縦断する中央構造線は、大地深部からのメッセージを受信できる聖地ですよ。
聖地はエネルギーの強い場所 ※地球科学からの科学的根拠が求められています。
※ネット引用です
これからは、私のとんでもない仮説をお話しすることになります。中央構造線は、糸魚川静岡構造線という、もうひとつの大断層とぶつかるわけなんですが、ここに諏訪湖があります。諏訪は諏訪信仰で有名ですけれども、一番古いところは、諏訪大社上社前宮ところなんですけれども、中央構造線が上社前宮の境内を通っていることが地元の地質の研究者によって確認されております。
ということでここに鹿島神宮、香取神宮があり、諏訪大社があり、それから伊勢を通って、それからここの熊本の幣立神宮があるわけですけれども、そういった断層といわゆる聖地といわれる場所が近い場所にあるということを私は感じるようになりました。最初はですね、3年前よく知らずに和歌山県の高野山も中央構造線の上かなと思ったんですが、どうもそれはだいぶ離れていることがわかりまして、高野山については、中央構造線説から外しています。
もうひとつは、仏像構造線も走っていますが、先程、山北先生からお話がありましたが、それはたいしたものではないというお話でした。私は、中央構造線にある面ではこだわりつつも、こだわるまいとしています。それはどういう意味かと言いますと、ほかにも断層から気みたいなものが湧き出ているところを確認しています。私自身も芳賀さんと歩くうちに少し能力が開発されてみたいでですね、大地の気がでている場所を他でも確認しました。今年の6月に飯田の町のシンボルの風越山(かざこしやま)に登った時に、もしかしたらこれは断層があるかもしれないぞということになりまして、まさかと思っていたんですけれども、その近くを歩いていましてたら非常に、ドア―ッとくる場所を感じましてびっくりしまして、あとで断層地図を確認しましたら断層が通っていたということです。中央構造線は一番の日本を代表する断層でありますけれども、中央構造線にこだわりつつも、それほどこだわるまいというのはそういう意味です。他の断層でも非常にエネルギーの強い場所、気のようなものが沸きあがっている場所がどうもたくさんあるということが感じとしてわかってきました。次お願いします。
古代人は断層沿いに移動した?
これは宇宙のランドサットからとった写真です。中央構造線がこう走っています。ここが伊良湖岬の先端、ここが伊勢ですね。こうした空中からの写真を見ていただくとですね、構造線はこれは、あきらかな「道」なんですよね。おそらく古代の人たちは、この断層沿いに移動したんじゃないかといわれていますけれども、それはこれがルートとして使えるからです。
現在、国は、太平洋新国土軸構想として国土軸構想を打ち出していますけれども、これは霧立越シンポジウムにもお出でになった国土審議会の下河辺さんたちが提案されたものと私は認識しておりますけれども、中央構造線上のルートを新太平洋国土軸というあたらしい国土軸として位置付けて注目しているとそういう情報もあります。
なぜ断層が道になるかということですが、これは私どもの地元にある博物館の絵(イラスト)を使わせていただきましたが、断層の鞍部というのがありましてこういうところが人が行動する、移動するには楽なわけです。もしかしたらこういう道がですね、尾根筋とか同じようなかたちでもって人が移動する時に大地からエネルギーを与えてくれて、沢をのぼるとエネルギーが奪われるといいますけれども、尾根筋は逆にエネルギーが満たされるという説がありまして、こういう鞍部を移動すると非常に疲れも少なく、むしろ疲れがとれてエネルギーが補充されるかたちでもって古代の人たちがこういったところをあるいて行ったのではないかということを想像しています。
これは、大鹿村にある中央構造線博物館です。建物の向こうに見えるのが大西山といいまして、40年以上前、大きな災害で崩れたことがあるんですけれども、中央構造線沿線は、こういうかたちでもって非常に土砂崩れも多いところです。さっき申しました空中磁気異常の原因になっていると考えられる蛇紋岩というのがこの辺には、たくさんありまして蛇紋岩というのはこうしてもろく崩れ易いものですから、大きな災害の原因になったりもします。
日本で唯一確認された隕石衝突クレーター
近年、ようやく隕石落下の痕跡が認知されています。
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日本唯一の隕石クレーター ...
高松の地下にある謎の巨大クレーター(隕石孔) ネット情報から引用
平成元年、金沢大の河野芳輝教授らのチームは、観音寺市と高知市を結ぶ線から東側の四国において、ほぼ2キロ置きほどの間隔で重力異常の調査をしていました。そのとき、高松市と香川町の境あたりで重力異常地点を発見しました。その後、チームは6年をかけ、密度を濃くした重力異常調査のほか、磁場の強弱で地下構造を推定する地磁気異常調査、跳ね返る音の角度や時間で内部の様子を探る人工地震波反射法調査などを重ねていきました。
その結果、仏生山公園を中心とする直径8キロの地域の下に直径4km、深さ千数百メートルのお椀型のくぼみが地下に眠っていることを突き止めました。そこから、このクレーターの内側にある5つの里山が、「高松クレーター五座」と呼ばれるようになりました。このクレーターは、容積が約196億立方メートルで、地下には約20億トン(早明浦ダム約7杯分)の水源があると推定されました。しかし、厚い堆積物が溜まって表面の大部分は周囲の平野と同じ高さの平らな土地になっているため、飛行機や山の上から眺めても盆地状の地形を判別することはできません。
その後、研究者の間において、このクレーターの成因をめぐり、火山カルデラ説(コールドロン説)と隕石衝突説が唱えられ、論争が行われました。
カルデラ説は、高松付近は瀬戸内火山帯に属しており、この火山帯には愛媛県石鎚山や愛知県設楽盆地などの火山性陥没構造である過去のカルデラがみられること、高松クレーター内部の掘削試料が厚い火砕流堆積物であること、隕石説の証拠となる高圧変成鉱物が未発見であることなどから、火山活動の活発化による噴火が大量の火砕流堆積物を噴出させてできた火山性の陥没構造のカルデラ跡(コールドロン)であると主張しました。そして噴火が起きたのは、1400万年から1200万年前の新生代・新第三紀・中新世中期サーラバリアン期だと推定しました。
これに対して隕石衝突説は、激しい衝突で変化した痕跡のある岩石や、隕石由来の金属粒子、衝撃による熱で岩石が溶けガラス状になった組織が発見されたことなどから、同じく新生代・新第三紀・中新世中期で約1530万年前のランギアン期に隕石が衝突してできた衝突孔だと主張しました。そして、衝突の時期を、火山活動が活発化する数百万年前だと推定しました。
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ドイツの隕石衝突クレーター
ネルトリンガー・リース
ネルトリンガー・リース(ドイツ語:Nördlinger Ries)はドイツ、バイエルン州西部にある直径約24 kmの円形の盆地である。リース・クレーター(Ries crater)とも呼ばれる。シュヴァーベン山地とフランケン山地の境界にあり、ドナウ川の北にあたる。その大部分がバイエルン州ドナウ=リース郡に属し、残りがバーデン=ヴュルテンベルク州オストアルプ郡に属する。クレーターの中心から南西6 kmの場所にネルトリンゲンの街がある。
名前の由来[編集]
「リース(Ries)」という名前はドイツ語ではなく、古代ローマの属州「ラエティア(Raetia)」に由来すると考えられている。この地には先ローマ時代にラエティア人が住んでいた。他にリースと呼ばれる地名はない。
構造[編集]
盆地は、1430万 - 1450万年前(中新世)に形成された隕石衝突クレーターと解釈されている。クレーターはほとんどの場合、単にリース・クレーターと呼ばれる。
ネルトリンガー・リースはほぼ円形(22×24 km)で、直径約24 kmのクレーターの残存と考えられている。クレーターの縁は、森で覆われたリング状の丘の連なりとして見られる。現在の盆地底部は浸食された縁の残存から約100 - 150 m下にある。丘陵地であるこの地域の中でその平坦さが際立っている。クレーターの内側に円形の丘の連なりがあり、複合クレーターに見られる 中央隆起であると考えられている。ヴェルニッツ川が蛇行を繰り返しながら、平坦なリース盆地を横切っている。
発見[編集]
初期の説[編集]
リースとその岩石は1世紀以上にわたって、さまざまな解釈が試みられた。かつては、特にリースに産するスーバイトと火山灰が似ていたため、火山活動起源説が好まれた。
1805年にはすでに、バイエルン地質学の父とされるMathias von Flurlが、リースを「火山地域」であると記載している[1]。1870年、Carl Wilhelm von Gümbelは、スーバイトの分布からリースに火山が存在したと判断した。彼は、この火山は浸食で完全に消えており、放出された岩石だけが残っているとした[2]。1901年、Wilhelm BrancoとEberhard Fraasは、地下のマグマチャンバーが上昇し、そこに水が貫入して何箇所かで爆発を起こしたとして、火山体の不在を説明しようとした[3]。1910年から、Walter Kranz将校はリースの地質構造が一つだけの中央爆発によってのみ最もよく説明されることを示した。爆発の原因は、同様にマグマチャンバーへの水の貫入で説明した[4]。
火山活動説以外にも、山地の隆起にともなう氷河[5]やテクトニクス(構造盆地)による説もあったが、どれもリースの特徴を説明できなかった。
1904年にはすでにErnst Wernerがリースの構造を隕石衝突によるものとした[6]。1936年にはOtto Stutzerもアリゾナ州にあるバリンジャー・クレーターとリースとのあいだの類似点を指摘した[7]。ところが衝突仮説はまだブレイクスルーとはならなかった。
隕石衝突説[編集]
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1960年、二人のアメリカの科学者、ユージン・シューメーカーとエドワード・チャオ(Edward Chao)は、岩石試料に基づいて隕石の衝突が原因のクレーターであることを証明した。最も重要な証拠はスティショバイトとコーサイト(衝撃石英)の存在だった。これらの高圧変成石英は隕石衝突に伴う衝撃圧によってしか形成されず、火山活動で説明するのは不可能だった[8]。このコーサイトは、ネルトリンゲンの町に地元石材で建てられた教会の建築石材(スーバイト)の中から発見された[9]。
ヨハネス・バイアー(Johannes Baier)による二つの記載岩石学論文は、このスーバイトが中生代の堆積物から形成されたことを示した[10] [11]。 [12]。
衝突イベントの最近のコンピュータ・モデリングによれば、衝突した隕石の直径はそれぞれ約1.5km (リース)と150m(シュタインハイム)で、衝突前は互いに約10kmの距離を持ち、水平面から30 - 50度の角度で南西西から東北東への方向で衝突したと見積もられた。衝突速度は約20km/sであったと考えられている。衝突が引き起こした爆発は広島原爆1800万個分のエネルギーであった。
この衝突イベントがボヘミア地方とモラヴィア地方(チェコ共和国)で見つかるテクタイトの一種、モルダバイトを生成したと考えられている。このテクタイトは砂岩が卓越する表層から生じ、クレーターから450kmに及ぶ距離にまで放出された[13]。
衝突後の一時期、クレーターは海に沈んで堆積層を作り、その後クレーターは再び陸化した。氷期のあいだは浸食されて黄土が形成され、この地の農業の基礎を作った。
ネルトリンゲンの石材建築は直径が0.2mmを超えない微小ダイアモンドを何百万個も含む。リース・クレーターを作った衝突はグラファイト鉱脈に衝突して72,000トンのダイアモンドを作ったと推定されている。この地域で産出される岩石は切り出されて建築石材として使われている。
- 惑星地質研究会 ドイツの隕石孔を訪れて - 佐々木晶